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シンプリチオ-雑記

ラウの寝起きがmitaidesu!

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2025/11/16 (Sun) -

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天然にはかなわない

2009/10/22 (Thu) - ●●●

頭使わなくていい読みものを頭使って描ける人って多分同人において最強だとおもう。すでに読み手側の熱分の問題でない。読み込みする気力を起こさせるか起こさせないかそういう次元以前に不戦勝してるので誰もかないません……。なんと言われようと信者続けちゃうよねそりゃ。
銀さん、来週見たくない……けど見るけど。けど。最近、銀アニはテレビ向かってると恥ずかしくてたまらなくてちょっと本気やばいです。み、みれない……銀さんの顔みれないよ……マンガはまだ平気なんだけどさ……。アウチ。
スザクは衣装持ちなんだよねぇ。ルルたんより作中着替えてるもんなぁ。色んな役割をしてきたんだなと改めておもいます。超超悩むけど、特派の戦闘服かゼロ騎士の時のあのレイアースな衣装のどっちかがやっぱいいね!
原稿するうです。消し書き消し書きし過ぎてなにやりたかったか薄れてきた罠。

あ、流星群みれなかったー。
もーーー。
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2009/10/21 (Wed) - ●●●

さっきまでさびしくてさびしくて死にそうだとおもってたのにねむくなってきたらどうでもよくなってさびしさをなんとかするよりねたくてたまらなくなって人間とはよくできていますねポンコツですか家の中にいるのに帰りたいとか独り言言うようになってると結構やばいマージナルマンな気がするよね独り言増えてるのが危ないけど
寂しい寂しい
寂しいです
寂しいって漢字はもう歩けない人と杖一本が並んで軒の下にいるみたいに見えるどっちにしろ打つ手なし
さーぶーしい

思いついたよ!思いついたよカアサン!

2009/10/18 (Sun) - ●●●

ナイトオブゼロになった時のスザクのあの何回見ても笑っちゃう肩部分のスケルトン、あれいっそのこと肌むき出しって考えると普通に萌えるんじゃね?と思ってめっちゃがんばってがんばったら、見えた!
(笑わずに)いけますよ、これは!!てかむしろ萌えるよ。こうなると萌えます。ジノのノースリ私服と大差ないなんて、一気にレベルアップじゃないの…!さすがくるるぎスザクですよ!地上でフィギュアスケートできるはずです!
あと、ルルーシュみたいなあんな可愛いキャラクターを作れたってのがギアスにおいて一番すごいことって(もっと公平な目線で賢く)仰ってた作家さんがいて、 そ れ だ ! と思いました。
私が思ったのはそれだよ……!
ルルーシュを構成する全要素のあの絶妙のバランスってどっから持ってきたんだろう?すごくない?家計簿つけてるか、つけてないか、そこどちらを取るかすら壮大な選択に思えてくるこの不思議。そしてスザクに肩スケルトン着させるあのセンスですよ…!そこなんだよ問題は……っ!
 


すげぇ製本作業したいこの早朝の衝動

2009/10/18 (Sun) - ●●●

完璧昼夜逆転してるわけだが、直したいんだが、誰かきっかけを下さい。
毎晩11時には銀さんベッドで待機とかそういうイベントないとぼかぁもうダメだよ。
原稿書いてる時の罠でね、なんかネタ出しのときスイスイ台詞が出てきて超萌えちゃったやつって絶対完成までにすげー時間かかるのね。あれなして。
関係ないけど、この前大学で後輩が目つぶったまま歩いてたんだけど、あれいっつもなのかな?
それとも新手のスルー技法だったのかな?
ちょっと朝マックに猛りたいですね。

指先にくちなし色のバター置きひだるき靑年は猫をやしなふ

2009/10/16 (Fri) - ●●●

ブログでも結構しつこく書いてるけど葛原妙子(明治40年生まれの女性歌人だよ)イキマス。


■■■ 葛原妙子の『原牛』他 ■■■


・寒き日のあさなあさなにしたたれる少年の鼻血ひそかにし見る

・脛長く伸びゆく少年うつうつと伸長の疼痛を訴ふ

・傅きし唇赤き少年を打ちしことありやレオナルド・ダ・ヴィンチ

少年の歌を取ってきたけれども、それに限らずこの人の歌が好きだ。
葛原妙子の歌には、しんと張りつめた空気の中に、透明のうちに現れる音や、指先の広さ分の熱や、痙攣と瞬きに止まる冷たさがある。雑踏でなく暑さでなく、真夜中の台所の、あのひんやりとした光だ。しかも光は降りそそいでいるのではなく、射している。そして夕闇の日本から、異国の(どこか特定の国ではなく、常に、あくまで「異国」の)早朝までその光は届く。でもそこには誰もいない。歌の作った切れ目しかない。
この人が視る冷たい異世界の日常は、垂直に、すっとナイフで切り込みをいれたようにピランっと、ある。そんなリズム、言葉の繋ぎ方をする。怖くて、美しい歌をこの歌人は作る。

・藍靑の襯衣ひつたりと立ちてゐるわが子の少年に刺靑の香あり

・少年は少年とねむるうす靑き水仙の葉のごとくならびて

・寝臺の端に掛けゐる少年のギプスの脚に月の差しそむ

・湯を浴びる少年ふたり月明に相似の裸身恥ぢにけらしも

葛原の少年は、白く、青い。
ここには載せないが、葛原は自身の、生涯独身であった兄と亡き弟についても、歌を作っていて、そちらもまた幻憬は白と青に染められている。(特に、兄についての歌で私が知る限りの二首は、どちらも本当に素晴らしい…。)

『小公子』の作者バーネットは、愛息ビビアンをモデルにセドリックを書いた。おそらく、私のセドリックへの耐えられなさは、それを作った者の、つまり母親バーネットの健全さに負っている。
葛原妙子の歌に現れる少年達(そしてほとんどの場合それは彼女の「息子」である)は、セドリックにおいては到底感じ得られることのない、痩身の危うさを纏って立っている。それは、換言すればそれを目している母親葛原自身の危うさの表れだ。葛原の歌には、詠まれている少年の姿の内に、まさにそれを視ている自身への冷徹な意識が反響している。

・眼鏡の澄みしづかに深くなるときの男の子よ潔し母にちかづくな

思うに、(あくまでファンタジーの)美少年の暗さに必要なのは、母との癒着よりも母的なものからの疎外だ。一穂の、あの美しい「母」の詩は、もう届かないものについて恋い焦がれる詩である。虐げられずとも少年は母から距離を置かれなければならない。

・上膊より缺けたる聖母みどりごを抱かず星の夜をいただかず

母はもう子どもを抱かない。

*

葛原は洗礼を受けており、キリスト教を題材とした歌も多く残している。
興味深いのは、彼女にとっては少年が青く幻視さるのと同じように、キリストもまた青の人として現れるということだ。

・キリストは靑の夜の人 種を遺さざる靑の変化者

同じく異国の人である仏陀についても彼女は歌を作っているが、そちらを読めば、彼女にとって少年(息子)とキリストの青い線が、狭く、そして酷く象徴されてその間を結ばれているのが、決して偶然でないことがわかる。

・わがまなうらしづかに緋を生めむつむりし褐色の少年悉達の胸衣

悉達とは出家前の釈迦のこと。「藍靑の襯衣」も「靑の夜」もここには見ることができない。
そして、キリストと少年(息子)が彼女の憧憬において同じ青に染められるのなら、聖母マリアに編み込まれるのは一体誰であるのか。答えは明白だ。
私は「危うさ」としか捉えられなかったけれども、塚本邦雄や菱川善夫はその歌論の中で、葛原のカトリシズムと、またキリストと聖母を扱う時のその顛倒についてもかなり深くまで触れようとしている。

……まあ、本人が一番突き抜けていらっしゃるのですけど。

・怖しき母子相姦のまぼろしはきりすとを抱く悲傷(ピエタ)の手より


(六日目)


彼女の歌からネクロフィリアまで見出しちゃった塚本が言ったように「ピエタに母子相姦を視るのは尋常!」とまではさすがに言えないけども、わかりやすく、ミケランジェロのあの一体目の(サン・ピエトロの)ピエタには確かにエロティシズムを感じるよね…。あのマリアは美しすぎる。あの顔は慈悲というより、自分の手の中にやっと取り戻したのだという、深い至福の顔に見える。死んで、初めて抱けた、そういう喜びの顔に見える。
四体目の最後のピエタは、未完成ゆえのあの姿であると言われているけれども、あれ、溶けて、一体化していっているように見えてしまうのだよね。キリストとマリアが。


直高はいいよなぁと思うんだけど

2009/10/15 (Thu) - ●●●

原作のラブはやっぱりなんか笑ってしまうんだよな。そこらへんも逆に稀有だよな。
直高はエッチしてなんぼのカプだけど見てて楽しいのは高耶だけで直江はキモイだけなのが難点です。直江もたまにはきつそうな顔すればいいのにと思うんだけど、そうなると直江じゃなくなるし、ああマージナル。
どうでもいい。
ギアチュ最終回まで観てからちーちゃんのキャッスルイミ聞くとやばすぎて…。前から知ってた曲だったけどなぁ。ギルフォードが生きてたのが嬉しかった。ダールトンさんは逝ってしまったからギルだけでも残ってよかった。よかった。
ルルちゃんの最期はさぁ、知っていたから大丈夫かなぁと思ってたけどやっぱり泣いてしまった。
やー、ギャグには取れないな。
どうでもよくない。
スカーフしてるキャプテンカツーラと並ぶと、銀さんの着物のはだけ感が際だってヨイことに気付いた。風邪をひいた銀さんを看病する夢を見たい。そんでいつのまにか布団にひきずりこまれたい。そんで一緒に風邪を引きたい。でも熱で暑いと同衾はキツイかな。いや銀さんとわたしなら平気な気がする。銀さん甘い匂いしそう(あの風邪特有の)嗅ぎたい。ああ。22歳です。

クワトロの胸板が忘れられないよビキニアーマー

2009/10/15 (Thu) - ●●●

シャッツキステのあきまん個展行ってきたようー。
平日の昼だったからかそんなに混んでなかったです。メイドさんがほんとにメイドさんだった(森薫的ないみで)。秘蔵ファイルが6冊になってたけろ、がんばって全部舐め回してきてやったぜ…!
あきまんの絵ってメカもやわらか~いんだね。ついでに触ると36度くらいは普通にありそうな、そんなやわらかさだ。あきまん。そいや、あきまんって名前もいいよな。あきまん。あきまんである。
∀サントラ2のディアナ様×キエルちゃんの生原画すごかったけど、CDのジャケで見るより淡く見えたー大きくなってたからかな?不思議。すげかったー。
ラフにあったランスの第1稿が、ものっそおどろおどろしくてwビックリした。ラスボスかよってぐらいのw なんかファイル絵はところどころ醤油の染みみたいなのついてて、そんなとこも面白かった。
あとねー、やっぱあきまんが描くシャアはいいよねー!いいよねーーー!えろいです。超えろい。エマさんと一緒の水着絵は初めて見たんだけど醤油の代わりに鼻血垂らしそうだった。なにあのけしからん上腕二頭筋と胸筋とケツ。本気で抱きしめられたら確実に(物理的に)死ぬどころの話じゃないけど、抱きしめてください…ッ。
ロランくんにおけけ生えてたのが個人的にショッkじゃあなくてえええMOEです。ありがとうございま、シタッ。一瞬下腹がすごく重くなった。


■■■ 中島らもの『人体模型の夜』 ■■■

理科室と(美)少年というのは、なぜだか相性がいい。
並べられた無骨な机、黒板、用途もわからぬガラスの実験器具たち、水槽、小さな化石標本、鉱物標本etcetc ……長野まゆみだったと思うけど、彼女は愛すべき理科室的美少年の筆頭に『銀河鉄道の夜』のカンパネルラを挙げたりしていた。(確かに賢治は詩なんかでも理科用語っていうの?それをすばらしく上手に使うよね)
まあ理科室と言えば、ステキ理科アイテムへの造詣を幼時育てられなかった私としては人体模型ぐらいしか浮かばないわけで、いや、あれ怖いし。普通に衝撃だし。
で、五日目の作品は『人体模型の夜』なんだけど、理科室(理系?)少年は出てこない。
私の見目によれば多分、今夜の「彼」は文系少年である。

『人体模型の夜』は、人間の身体をモチーフにしたホラー・オムニバス。
でも語られる十二の短篇には少年は出て来ない。少年はこの本の聞き手。
狂った学者が作らせたと言う不気味な廃屋、「首屋敷」に毎日やって来ては、一人、空想に遊んでいる少年にとって、そこはまさに自分だけの王国だ。ある日、少年は偶然発見した隠し地下室で異様な「人体模型(ガラテア)」と出会う。「少年は、息を呑んでこのオブジェを見つめ続けた」。吸い寄せられるように、少年は人体模型の胸元に耳を押し当てる。すると、物語が聞こえてくる。
と、まぁこんな風に始まります。
それで、私にとっては、この本はほぼプロローグとエピローグによって印象を残している。(…)
物語を聞き終えた少年は、全てのお話が人体模型に取り付けられている身体パーツに因んでいることに気付いていた。少年は、もっともっとお話を聞きたい、と思う。
そこで、裸になって、僕のからだをあげるからもっとお話をして、とねだるのです。
ごめん、ラストシーン載せちゃう。

「人体模型は、縫い合わされた宝貝の目で、その裸身をながめおろしている。少年は、一歩、二歩。ガラテアに近づく。柔らかな髪がガラテアの肋骨にふれる。人体模型の腰骨が、 ぎぎ とかしいだ。上体が前へ倒れ、八本の腕が少年の裸身を抱きしめた。お話がまた、始まった。」

狂った学者が作った禍々しい人体模型の姿と、それに抱きしめられる裸身の(たぶん文系)少年……よいではないかー!
幼い頃からひとりの時間を知ってしまった少年は夢の中に自ら取り込まれてしまう、わけですが、西條八十の詩集『美しき喪失』に「空想」という詩がある。

 空想から覚める侘しさ、
 少年の日の遊びの
 あの目隠しをとった心地だ。

 月の射す白い李林は崩れて
 身近くを自働車が通る。

『人体模型の夜』の少年は、目隠しを取らないまま李林に遊び続けることを選んだのでした。
早熟かな、愚かさかな。どっちもかな。

(五日目)


------だそくてきついき------

四日目の書き忘れ

・そういえばセドリックは、ハイソックス萌えの元祖だった。(どうでもいい)
でも考えてみるに、ハイソックスそのものが良いというよりは、白い布に包まれたまだ細いふくらはぎの下、幼い足には窮屈であろう、茶黒の革の靴が、実はポイントなのではないか。
ハイソックスのあの白さが開放的であるために、そこから続く足下の黒の束縛感がウマーな具合に強まるのではなかろうかと思う。(但し、日本の古き良き下町ハイソックス少年群はこの例に依らない)

・猫と少年といえば、『ぼくの地球を守って』のキャーと紫苑も忘れちゃいけない。
キャー欲しいよね…。



てかてかてかてか、君届の龍が龍が龍がゆうきゃんんんんんええええ?!?わたしの龍がぁぁぁぁxやっと…!やっと出てきたと思ったら……!なんというなんという!

ぞぬこ

2009/10/14 (Wed) - ●●●


■■■ フランシス・H・バーネットの『小公子』 ■■■

セディです。小公子、セドリックです。
おじいさまが呼ぶところだと「フォントルロイ」です。
小さなフォントルロイ卿は茶色の瞳に金の巻き毛、美しく、優しく、純真で、誰からも愛され、ついでに天使のような声で歌まで歌っちゃう、そんな少年です。

うん……。セドリックはいません。まさに夢の少年です。
村岡花子訳の『小公子』を読んだのは小学生の頃だったけど、当時の私にセドリックは大変魅力的でした。なんて綺麗な男の子なんだろう!と。でも、すぐつまらなくなっちゃったのも確か。セドリックは容姿だけでなく中身まで美しすぎて完璧すぎて捻れがないんだよね。
フォントルロイは永遠の少年だけども、萌える少年ではないんだなー。
萌えというものの鍵はやはりその人の陰影が握っているのだと思う。もっと言うならほとんどの場合性に関すること。それが露わであるか秘匿されているかは瑣末なことで、きっと匂いさえすればいい。成人男性への萌えと少年萌えは全く別物だけど、だからといって少年に無性性萌えしてるわけじゃない。天使は愛でるに足りず、少年は少女でなくあくまで少年でなければなりません。でもなんでかは詳しくわかりません。

『小公子』では、セドリックと犬のドガールが一緒にいるシーンが好きだった。ドガールはマスチーフという犬種で大型犬なんだよね。背丈が並んでしまうくらい大きな犬と少年、というだけでも充分いい絵なのに、ドガールが怖面な護身犬だからもう更にグッドです。

犬と少年ならドガールとセドリック。
じゃ猫と少年は?と言うと浮かぶのはルノワールのそのまんま「猫と少年」という絵。
これはちょっと、妖し~い美しさがある絵です。
黒を背景に一糸纏わぬ姿の少年がこちらに背中を向けて立っていて、台の上に寝ている猫を体をかがめて抱きしめている、という。気持ちよさそうに眼を細めている猫の顔も、少年の暗さに光る濃い瞳も、短い髪の毛も、印象的だけど、何よりとりあえず先に目がいってしまうのは そ の お 尻 だ !

気になるのは、この少年の出自である。良家のご子息はさすがにこういう絵のモデルはしないだろうと思うのですけど、どうなんだろう?体もわりと逞しいし、普通に働いていたりする子なんだろか。
猫の頭に触れている、赤い唇が忘れられない絵です(尻以上に)(いやほんとに)(ほんとだよ)。


(四日目ー)

いちにち眠かった

2009/10/13 (Tue) - ●●●

講義で薦められた本が欲しいんだけど版切れ中で、更に古書オクだと5000円からっていう…泣く。まぁこういうのはしょうがないけどさぁ、でも大学の教授推薦のある本でしかも値段高い学術書は学割入れて欲しい…学内書店で買えばとかじゃなく国で……。例のやつに所得制限つけてちょぴっとくらい回してよん。私らの世代は頭の方はゆとり谷被害だし、親も一応バブル被ったとはいえ大学行かせてるのに恩恵ゼロだし、可哀相じゃないか?!ぽっぽ!
私はサンマ好きのしょういちさんが死んで悲しいんだよ!素敵ダンディだったのに!

はぁ。
寝ます。
明日ギアチュ最後まで借りてくう!早く帰るぞう。

昨日からアナザオリオン聞いてるから

2009/10/13 (Tue) - ●●●

ほしとせふねんで今回は孫引き&ゴメンネ読違え♥祭りであります。
短く目標。


■■■ 作者不詳の「アステールの詩」 ■■■

古代ギリシャの詩です。

 星を眺めるわたしの星彦(アステール)、
 えい 大空ともなって
 たくさんな眼で、
 お前をふりさけ見たいもの。

とりあえず不詳ってしたけど多分プラトンさんの詩だろうと言われている。訳は呉茂一。
「アステール」はギリシア語の「星(=aster-)」に何か人を表すような語尾的なのが付いてたってことなのかな?原文知らないのでわかりませんが。しかしそこを「星彦」と訳すのがいいじゃないかー!
で、中国の月人壮士(つきひとおとこ)が擬人化なのと違って、こちらは本当の、少年であります。
ついでにギリシャの、スーパー哲学者に愛された、おそらく確実に「美」がつく、少!年!だよね!もちろん!と思って元気になるなる。からだが傾きます。
しかし、素敵な詩です。
プラトンは、星空を見上げている少年の、隣にいたのだろうか。もしかしたら、少し後ろの方にいたのかもしれない。少年は夜空いっぱいの星々に夢中で、今は自分の方を見ていない。哲学者は、上を向くその横顔を見つめているのか、それとも後ろ姿だけを見守っているのか、わからないけど、でも星に夢中になっている少年のことが愛おしくてたまらない。(かすぱもたまらない。)そんな夢中の顔を無数の星が今まさに見下ろしているように、私もしてみたいものだよ、とそんな感じで。
「えい 大空ともなって」以降は…なんというかギリシャ伝統の、青年(年上)×少年(年下)の愛の形が、ぎゅうっと凝縮されてて、気持ちがよいです。そして、やっぱり、矢印は上から出ているものなんだよね…。


がらっとお国変わって、白居易から。

 憶ひ得たり少年にして長く乞巧せしことを 竹竿の頭上に願糸多し

唐代の七夕の詩。
竹に沢山吊された子ども達の願い事を見て、詩人が、自分も少年だった頃はめっちゃくちゃ考えてお願い事書いてたなぁって思い出してる。
すでに美少年の話じゃなくなってるがキニシナイヨ!


気にしないついでに、とっておきを最後に。同じく白居易。
 
 背燭共憐深夜月
 蹋花同惜少年春

 燭(ともしび)を背けては共に憐れむ深夜の月
 花を踏んでは同じく惜しむ少年の春

この詩は、好きすぎて何も言えない。
後半部分は特に、正しい解釈文を読む前に想像を広げてしまったのでwあともどり出来ずにいる。翻訳ものを読む楽しさであり、苦しさ。中高の時なんかは、純粋に日本語的に掴まえてしまった自己流の解釈の方が刺激になっていたりするんだよね。あとで正解読んでがっかりしたりとかw
少年ふたりの姿が消えません。

明日は小説かにゃ。

(三日目坊主)


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