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シンプリチオ-雑記

ラウの寝起きがmitaidesu!

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vernehmen

2011/05/31 (Tue) - ●●●

デカルトとカントちゃんそれぞれの悟性知性理性の区別を復習して整理しなおしてたら一日が終わりそうでござる絶望的でござる

これナデシコの鯨MAD並に好きだわ

バックに終始流れ続けてるボワンボワンってシンセ(?)の音がとても合ってる。エヴァ全篇に響き渡っていたシンジきゅんの意識のようです。世界を壊す耳鳴り。
シンジきゅんの前に綾波とカヲルくんが並び立つところで感情がMAXに…おおおお…。
ミスチル全然詳しくないけど桜井さんの中では「掌」(の歌詞の中で納得されたこと)の前にこの「さよなら2001年」のような葛藤があったのだなぁと新発見。内容自体は結構どうでもいい。


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メモ書き出てきた。
映画版最後の花畑の中のクアンタ(ていうかELSクアンタになっちゃったけどとりあえずせっちゃんが乗ってた機体ということで。)にどうして萌えなかったのか考えてみた、やつ。

すごい簡単な話なんだけど、私が見たかったのは「兵器の死」であって、そして私の中で(だけでなく映画中ずっとですが)クアンタは兵器として認められていなかったんだなということです。クアンタは兵器じゃなかった。
重要なのは、「死ぬ」のは「兵器」でなくてはならないということです。戦う道具で、何ものかを殺す道具でなくてはならない。私は単に「機械」が死ぬことに興奮するのではないのです。
ほとんど戦わなかったクアンタは和平交渉のための機械、どこでもドアと等しい一つの便利な機械であって、兵器ではない。それが映画を見終わっての印象だったのだと思います。
私は朽ちていく兵器にものすごく魅力を感じて、愛しい!と思う人間なので、00の2期EDは決定的だったのです。あのEDで刹那が見上げていた機体はまだ兵器だった。あれは美しかった、膝をついた機体の周囲を埋めていた花は追悼の献花でした。
でも劇場版ラストシーンの機体にはいかなる美しさも感じません。あれは、幸せな、平和を記念したモニュメントです。私はガンダムでそんなもの見たいと思ったことが多分なかった。ガンダムと呼ばれた機械に私が期待していたのは、祝福の花に囲まれて、あんな風におおっぴらに晒されている姿じゃなかった。
(「兵器」と書いたけどたぶん厳密には「人型兵器」なんだと思います。とりあえず、私の中のガンダムイメージに抜きがたくあったのは、ガンダムに絶対に必要な要素としてあったのは、「人型・兵器」であるということなのです。…ガンダムとは何かとか、クアンタはガンダムかどうか、という話は置いておくけど(ていうかガンダムなんですけど。ガンダムって名前が付いてるんだからクアンタはガンダムなんだよね)。)

一応こういう風に納得したんだけど、でも結局これって自分のガンダムイメージに合わない!っていうわがままじゃないかと思いました。だけども、そうなんだけども、やっぱりこれって私にとっては大事な(そして他の鑑賞者にとっては至極どうでもいい)拘りなんだなとも思いました。

∀ガンダムのラストシーンを思い浮かべます。
∀は「ガンダムをあんなことに使うなんてw」ってよく言われます。洗濯物干したり牛運んだり。でもそれでもやっぱりあれは「兵器」でした(歴史的にはとんでもない「兵器」でした)。おヒゲはどんな用途よりもまず先に、戦う道具だったし、何ものかを殺し壊す道具でした。そして逆にそういう理解が前提に(暗に?)あったからこそ、登場人物たちがああいう使い方をすることが鮮やかに見えたりもしたのだと思います。
そして、紛うことなく「兵器」であった∀ガンダムという機体の最期は、やはりああいう風に描かれなければならなかった。戦って、刺し違えて、そのまま争った姿のまま「閉じこめ」られなければならなかった。白く蔽われなければならなかったのです。それはおヒゲがどんなに平和な背景の中に泥んで存在していようとも、おヒゲが兵器であった以上どうしようもなく負わなければならなかった宿命です。正しく言うと、∀のあの最期は「死」ではなくて「仮死」であり、またあの繭の描写は、これからの未来に再びあの兵器を孵化させてしまうかもしれない人間の存在の可能性の示唆が、最大に狙われた効果です。
でも、その効果とはまた別に、やはりあの機械は「見えなく」なる必要があったのだと考えます。というかそのように納得したいです。∀とターンエックスがその姿を晒したまま「そこにある」ということは、結局どうあっても醜悪なことなのです。人間はそれに耐えてはいけないし、いけなかったし、だから彼ら兄弟はベールを被せられたのです。

クアンタは姿を隠さない。隠す必要がありません。彼は醜悪ではないからです。兵器ではないからです。そして私にはそれがつまらないし、悲しくない。「兵器であるにも関わらず、彼に愛着を感じてしまう」という矛盾に苛まれないことは、つまらないことです。
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