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シンプリチオ-雑記

ラウの寝起きがmitaidesu!

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2025/11/19 (Wed) -

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本棚の前に立った時にだけ人間の指先には魔法が宿るにちがいない

2009/09/19 (Sat) - ●●●

舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』読んだ。
物語と愛についての小説です、この本は。タイトルや、文体や、(既に読み易いを通り越して読み難い域にまで達している)行間の空き具合や、(パロディなのかオマージュなのか知りませんが)やたら厚い本文用紙、に、惑わされてはいけない…!んだな…!自戒。

「愛は」という言葉で始まるこの小説は、冒頭で「過去」について触れるんだけど、哲学が教えくれた愛は前方位的な展開をするか或いはそこから下りて現実性を求めようとする、した、ものだったから、私にはちょっと不思議に感じられたのね。ここで過去?って。後ろにいく愛ってなんだろうと。でも、最後まで読むと不思議が溶ける。全部わかる。前転、良さと言い換えられる愛や現実性と言い換えられる愛があるなら、過去や追憶と言い換えられる愛もあるはずで、それが物語なのだ。
問題の部分を引用するのはさすがに無粋すぎる…ていうか恐らくこの小説の(結論でなく)タネの最大の正体であると思うので伏せるけどって言ってももう結構書いちゃった気もするけどだけどとにかく、文庫版172P最後の4行は、単なる言葉遊びではない。恋愛に取り憑かれた男のポエティックな感傷でもない。小説の早いほうで「祈り」について幾つか書かれているんだけど、そこに鋭い把握があるから、ちゃんとわかるようになってる。「祈り」は、・言葉で出来ていて ・何かこうあって欲しいと願うもので ・でもその願いが叶わなくても私たちは「それ以上何もしないし何も思わない」。大事なのは三つ目だ。叶わなくても、何も思わない、ということ。実はアリストテレスもポチッとしていたところ。
もうひとつ。
私たちは、たとえば一万二千年先の物語を書く時に、未来形(予想形)を使わない。私たちは過去形で書く。よく考えるととても面白いことなんだけど、文学は、ずっと過去形を選んできた。でも、なんでそういう形態でなきゃいけなかったのか?
この小説は別にこの問題を扱ってはいないんだけど、一つの答えを提出しているように思う。

昨日書いたゴールズワージーだけ孫引用しとく。
「芸術とはこの世における人間活動の一つの形式である。それは人と人とを結合するための、人と人との間の境界を撤廃させるための、純粋な仕事である。それは、消え去りやすいけれども、一つの個ともう一つ別の個との、絶えざる、そうして無意識裡の、置き換えである」
私小説、小説ということ、ゴールワージーの言葉、愛の作用、人間の精神活動が収斂していくところのクセのようなもの。
昨日の今日でこの本を読んだ自分の幸運に頭がお熱。



あと!!!依田さんの新連載読んだ~!相変わらずかわいくてかわいくてもう読みながらもじもじした。タイトルの「番長」が気になるwななななななな。あめとらも早くコミックス化すればいい…!なんか今日は総合すると凄い充実してた気がしてきた!十五年ぶりに一代目家にも行けたし!レコードも片づけたし!買い物もしたし!
明日は仙台いってきます。おやすみなさい。

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