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シンプリチオ-雑記

ラウの寝起きがmitaidesu!

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2025/07/31 (Thu) -

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性器の臭いがします

2009/04/13 (Mon) - ●●●

今日から授業でした。一限目は逃したけど(これは私のせいじゃない)三限四限はちゃんと行きました。よくやりました。明日もがんばりましょう。自分を褒めてがんばりましょう。はい。

友達に薦められた山田詠美の「姫君」も今読んでいるのだけれど、楽しくない。面白くないと思った。
そういえば私、女の作家の本ってあんまり読んできたことなかったんだと気付いた。児童文学やミステリは除いて。
まだ「MENU」しか読み終わってないのでとりあえず忘れないうちに「MENU」だけ箇条書き。

・時紀って男じゃなくて女みたいだ、女だと思った。こういう男っているのか。この作品は会話と時紀の性別だけがファンタジーだ。
・文章を読んでいて、女のひとってこういう風に書くんだと思った。たぶん詠美さんは書いていて凄く気持ちがいいんじゃないかと思う。言葉を繰り出している時。私も、時々、こういう文章を書いてる。そして気持ちがよくなっている。でも、読み手も同じように気持ちがいいわけじゃないんだということに、気付いてしまいました。ああ!ああ!気付かせていただいてありがとうございました。雰囲気を纏って漠然と繰り返される言葉たちは、本人の中では思考思考思考の末に吐き出されたものであっても、読んでる側には酔っている人が楽しく歌っているだけに見える(ことも結構ある)。
・会話がだめだ。悪い方に気になってしまって。劇だ。生々しい臭いだけするのに、会話だけプラスチックみたいだ。こういう表現も上述のものですね。私たぶん、時紀が延々一人称でだらだら作品を撃っていてくれたら、まだ読めた気がする。おそらく時紀の二次元化がすすみますけれど。
・共感がないわけじゃない。自分にとって自分より上なんていないということへの共感はありあまるほどなんだけど(最近書いた日記思い出して爆笑した)、だからかな、もう読まなくていいと思う。
別に読んでいて楽しい小説だけが好きなわけではない。読んでいて苦しい小説というのはあるし、そういうものを読むのも嫌いじゃない。
でもMENUを読んでも、あるよねそういうこと、という感想しかない。(あと作家の性についての視界の広がりはいただきました。)あえて読まなくても、言われなくても、わかってるよ!としか言えない。
私には、これを読んで、何か胸を掴まれるひと、(きっと女の人が多いんだろうか、)そういうひとというのが想像できない。そういうひとの気持ちがわからない。
・そんなこんなで思うのが、おたく的な女とそうじゃない女の違いというもので。(ここでの「おたく」というのは別に、知識量の差がものを言う世界のおたくでもなく、自意識過剰気味な個性的自己紹介に使われるラベルとしてのおたくでもなく。凄く簡単に言っちゃうと、アニメとか漫画とかを一般的なレベルよりもほんのちょっとだけ好きな女です。そういうジャンルに溺れている女も溺れたがっている女もレベルを問わずに含みます。)
おたく的な女には、詠美さんの作品を気持ち悪く感じるひとが多いんじゃないかと思う。あ、処女・非処女関係なくね。実際に経験がないから男女間の関係をいつまでも汚らしいと思うんだ云々言いたいわけではないのです。
詠美を読んで嫌悪を感じるということについて、私は、凄く、分析しなければいけないと思ってしまう。そしてそれは、フィクションが普通よりちょっと好きである(どちらかと言うとおたくな女である)、ということと少なからず関わっているような気がしてしょうがない。
・繰り返しになるけど、「そうじゃない女」が共感のあとに何を感じるかが私にはわからない。
・「おたく的な女」は多分、共感のあとに嫌悪を覚えるのではないか、ということしかわからない。
・嫌悪じゃなくて、答えが与えられないことに対する不満、と言ってもいいかもしれない。言いたいことはわかる、そういうことってある、私もそう、「で、その先は?」何か教えてくれるの?って思う。
・もしかしたらもしかしたら、自分へ興味を持つことを放棄した女がおたく的な女の頂点かもしれない。わかんない。保留。怖すぎる。

貸してくれた友達が詠美さんと太宰について絡めていたので太宰とのことも一応考えてみた。
太宰は、自分語りをするにしても傍観者の目線を忘れていないと思う。笑うべき、或いは慈しむべき自分がいたとしてその自分を書こうとして、でもそこからをちょっと離れたところで、更に、笑ったり、馬鹿にしたり、愛しく思ったり、皮肉ったり、そういうことをする自分ももうひとりいる。
詠美さんが自分をゲロにしてどばあーってぼあーって地面にぶちまけちゃうとして(そしてそこが多分魅力なんだと思うけど)、太宰は自分を提出するにしても綺麗に箱にいれてゲロを持ってくる感じ。そんな感じ。
なんだろ、予防線かな。詠美さんのが強そう。
太宰がゲロを吐いてた時の表情とか、嗚咽とか、そういうのはこちらからはよく見えない。
わたし太宰好きなんだけど、太宰のこと好きなのは、あ、わたしもそういうの吐いたことあるよ、みたいな、なんかね、しつこくない、壁がいちおうある共感みたいなのを許してくれるからかなと思う。彼の中には、理解を許してくれていないところも多分たくさんあって、そういうところも安心なのかな。
トイレの個室隣同士で繋がるなにかみたいな、そういうものを、太宰に感じるのかもしれない。
MENUには、同じ便器で吐こうよ、みたいな、そういうの感じてしまうのかもしれない。わたしは結構です。

でも全部読みます。
自分からはきっと読まなかった本だから、貸してくれた友達にありがとうだ。目の際を割いて痛いのは仕方ないことなのだ。全部読んだらダス・ゲマイネもういっかい読んで比べてみる。


書き散らし死ねって感じですけどおなかがやっと空いてきたのでご飯買ってくる。
ブログがない時代に生まれていたら、自分の推敲力は今のウンコレベルよりはもうちょっとマシになってたんじゃないかととみに思う。なまじ簡単にすぐ書けちゃうからいけません。もうもう!すべて時代のせい!

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