忍者ブログ
     
カレンダー

10 2025/11 12
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

ブログ内検索

プロフィール
あれるやだよ

バーコード
アクセス解析
OTHERS
Designed by TABLE ENOCH
Powered by [PR]
 

シンプリチオ-雑記

ラウの寝起きがmitaidesu!

[PR]

2025/11/23 (Sun) -

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2008/09/13 (Sat) - ●●●

「存在の耐えられない軽さ」

・永劫回帰には意味がある&一回性には意味がない
→私たちの存在の軽さ。
永劫回帰に意味を見出すというのは、それはなにかの改善性に良さを認めている前提がある。選択について「その」選択には何か意味があるということ。
なにか完成があるのだろうか?先に?それは結末ではないの?
・永劫回帰には意味がない&一回性には意味がある
→私たちの存在の重さ。重さ?
単一者のかけがえのなさ。根拠は?

でも軽いのと重いのどちらがよいのかは、わからない。

クンデラが言いたいのは違う観点かな。
おそらく彼が注視しているのは例えば人間の一生における「選択」の場面とか「運命」の場面である。
どちらを取るのか、
それに何の意味があるのか。
結局全肯定すら可能にする見方。その奇蹟を。
意味などない。軽いもの、どれを選んでも軽い。
運命の時の演出をするのは自分自身である。自分自身でイメージを繋げ、こじつけをする。繋がりを感じるのは私である。繋がりを見出すのではなく、繋げて見ている。

そうするとやはりクンデラは、軽い、と考えている。
そして軽い、は、よい。
意味の意義などない。

PR

PREV HOME NEXT

COMMENTS

COMMENT FORM

TITLE

NAME

EMAIL

HOME
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字PASS
COMMENT

TRACKBACKS

TRACKBACK URL