例年通りありとあらゆることに出遅れている。
読みたい本ありすぎて泣きたい。終わらない…。うう。
何らの価値観をも選択しない人間は、何であれ価値観を持っている人間に対して、何を言うことも出来ない。言っちゃいけない。
……こころがいたいお。
で掃除してたら11月(…?!)にひなと一緒に行った「芥川龍之介の書画」展のチラシとメモが出てきたよ。例の直筆遺書初公開のやつです。
しかし相変わらず意味のわからないメモを残している自分を軽く絞め殺したい。
・犬(なんか丸で囲んであったし)(確か、病気の友達のとこに見舞いに行きたいんだけど、その近所の黒い犬が吠えるのが嫌で行くに行けない…みたいな内容だった笑 龍之介かわいいよ)
・履歴書(多分『眼中の人』に出てきたやつの本物のことかな。政次郎の前で龍之介がサラサラ書いたよ~ってやつ。昔の履歴書って型もないみたいだし、まちがったとこペケしただけでそのまま使ってるし、緩くていいなぁ…なんて思った。)(そういえば手紙とかもすっごく長くて、何をこんなに?と思うんだけど、実際読んでみると間に地図の絵とか旅先の絵とか自由に差し挟んであって、且つ「僕の家に来るまでの道順」みたいなのの説明で三分の一ぐらい文面使ってたりする。そういう時間やら空間やらの今とは大分違う使い方が大らかで余裕があって、また羨ましくなったりする。不便さが豊かさのように思えてしまう。)
・遺書の五枚目の写し書き(多分)
「あらゆる人々の赦さんことを清(情?)ひ、あらゆる人々を赦さんとするわが心中を忘るる勿かれ。」
これ、確か菊池に当てたものだった。すごく意味深だよね…。つい『六の宮』を思い出してしまう。一体何を赦そうとしてたんだろう?晩年近くの芥川は、菊池とはやや疎遠にはなっていたみたいなんだけど(現に家族のことは違う人物に全て後任している)それでも菊池に対して個別に、遺書を残すような何かを持ってたということで。
龍之介は子ども達に対しても遺書を残してて、そこには、いざとなったら父のように自殺しろとの旨が書かれている。無理に生きろとか、そういうことは一切書かれてない。龍之介にとっては自殺って、決してネガティブなものでは無かったんだろうと思う。そこに至る心境はもちろんネガティブどころの話じゃないんだけど…自殺という行為そのものはちっとも悪じゃなかった。そうじゃなかったら息子達に「そうしなさい」なんて書けない。親としてどうなのって今だと言われそうだけどw私は嫌いじゃないなぁ。
・しかし小学校時代のお習字とか達筆すぎて\(^o^)/読めない\(^o^)/
芥川つながりでメモ帳見てたら『西方の人』の書き抜きを発見したので載せてみる。『影の獄にて』も『深い河』も結局この地点の物語であって、だから感動もすると思ってる。中略の有無は不明。
<36>クリストの一生
・クリスト教は或いは滅びるであらう。少くとも絶えず変化してゐる。けれどもクリストの一生はいつも我々を動かすであらう。それは天上から地上へ登る為に無惨にも折れた梯子である。薄暗い空から叩きつける土砂降りの雨の中に傾いたまま。……
信仰者の歴史は、キリストを(時にユダを?)演じることを試みてきた人間の歴史だと思う。物語も同じ。だから、ほんとうに重要なのはもはや神ではなく、受肉したキリストの方なのではないかとすら思う。
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