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シンプリチオ-雑記

ラウの寝起きがmitaidesu!

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2025/05/18 (Sun) -

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汎愛され最終兵器彼氏イエス

2010/01/11 (Mon) - ●●●

・戦メリでローレンスが「彼らは過去に生きている」と言ったのはまちがいで、同じく原作でハラ(要するに日本人)について「個人でもなければ、ほんとうの人間でもない」と言ったのは当たっている。日本人(とここでは一応まとめてしまうけれど。)は現在を生きている。生きすぎている。そして過去でも未来でもなく現在を生きているから、死をつねに思う。恥より死という。それが恥ではなかった瞬間も、恥ではなくなる瞬間も、私たちは知ったことがないのだ。かのひとを、もたない。

・日本人はキリストを持たない。「受肉された」その人を知らない。これはどういうことか。日本人は矛盾を持たないのだ。神の成された矛盾を持たない。神と人間の間のひずみを持たない。なぞらえる人は不在で、演じる先の存在は空白だ。「人間であること」の意識をしない。私たちは重さを知らない。日本人は。

・キリストは不可解なひと。不可解のかたまり。「キリストは人間の悲惨をことごとくなめつくした。」しかし、私たちの文化は不可解を凝結させたことがない。不可解の見本は「こうありなさい」と人間に言うのではない。「なぜこうあれたのだ?」と人間に訊く。なぜこうも悲惨に?なぜこうも不可解に?日本人は疑問を持たない。持っても、それを収集し、ピンで止めたりしなかった。標本は終ぞ完成しない。

・地続きの神は、平板な世界のみを尽くす。だから現在しかない。
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