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シンプリチオ-雑記

ラウの寝起きがmitaidesu!

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2025/11/25 (Tue) -

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カミュ異邦人めも

2008/01/25 (Fri) - ●●●

発表を体系化・非体系化、主体的真理・世界的真理の思想史的二分法でやったんだけど、なんかやっぱり私があの意味不明な1時間半の中でしゃべりたかったのはキルケじゃなくて、結局カミュなんじゃないかという気がしてきてならないそわそわ。後の祭り。ていうか文学だし。

去年の秋ぐらいに、この歳まで読んでなかったのが恥ずかしいくらいなんだけど、カミュの「異邦人」を読んで、その中の、1つのクライマックスの部分に出てくる「世界の優しい無関心」という言葉にすっかり囚われてしまった。
実際に小説読んでる時も号泣したんだけど、この言葉についてぽっと思いを馳せるだけで涙が出るという始末で、ほんとおかしかった。今でも泣けるんですけども。


この「世界の優しい無関心」にムルソーが心を開いた、という瞬間は、彼が超越的な存在をどこにも置かず、彼の生の全てを「地上で」自らに引き受けているということに、目を開いた瞬間だと思ったのね。
この決意表明は、もうキルケゴールが語ったような実存を遥かに越えて、恐ろしい程の孤独を伴っているが、それでもそこに「優しい」という言葉を使ったムルソーに、カミュに、涙が出る。

私たちのいる世界は意味を与えないし、問いもしない。これが不条理ということ。問いさえ私たちは投げうってもらえない。
それでも太陽に焼かれ、窓から見える路地に、窓から聞こえる物売りの声に、周囲の人々の何の特別性もない日々を、養老院で老いて死んだママンを、感じて愛しく思い、そして彼自身が生きている、現在、は崩れようがなくそこに在る。

「世界の優しい無関心」っていうこの言葉は、風景描写と一緒に出てくるんだけど、カミュにとってそういった世界に対する実感というのが、形而上的な、理性的なアプローチからだけ来ているのではなくて、とことん自分が肌で感じてきたものと同化してあるということをよく示している。

カミュは真理とか愛とか正義とかを語らない。
私達が聞きたい言葉はそういうことじゃないとわかっているからか、或いは彼にとっても動揺に必然であったからか。私たちが聞きたいのは、私たちについてだ。真理や愛や正義の前提にあるものを聞きたかった。
私たちを包むのは無関心か。自己の必要に迫られて起こした1つの答えが誰かの涙を流させる。無関心はけれど優しい。
触れずに、しかしそこにあっていてくれる、あることを許してくれる。
誰からも降られてこない恩赦を私たちは自らに降らせる。


シーシュポスの神話にはシーシュポスと岩以外出てこない。彼は圧倒的に絶対的に一人だ。
「シーシュポス神話」は「異邦人」の忠実な哲学的解釈とはサルトルの言葉だが、けれど私たちは完全なシーシュポスにはなれない。

シーシュポスの周りにはいなかったものが、異邦人のラストシーンでムルソーを、死刑台で、待ち受けている。
この最後の違いの大きさに。


*

人間を考える方法として。
思考している人間に入り込む、思考している人間をみる。
ドストエフスキーはある人物について書く時にその親から家から背景から出発した。カミュにはただ既に思考している人間がいるだけだ。
しかもその人々は見えない。私たちの視点がその人と重なっているからだ。他方は思考している人間を映し、他方は思考している人間が自らカメラを回している。
世界の大流、大きな物語、万物を語り尽くす世界観が崩壊してから意味を付与する神(別の名前でもいい)は消されて、無意味に私たちは絡めとられたが。個の重視は、意味の無さは、果たして本当に虚しさだけをもたらすか。

意味のない世界でだがしかしそこで確かに生きている自分という現実と向かい合う時、超越者のいないそこに一人立つ時、そこにいる私には独我論や人間中心論なんかでは決して切り捨てきれない、強さと、そして私たちの自覚の甘さ次第では儚く変容してしまう自己生と密接すぎる真実性がある。
意味生を越えたところで生きることもできる。
意味が付与する安心感とはもう一生手を結べないかもしれないが、意味が頼りがいとともに送ってくれる拘束とも私たちは無縁になるのだ。


なにが言いたいかというと私はカミュの「異邦人」が凄く凄く大好きだ。こんなに優しい本が他にあるかな。
携帯打ちで文章酷いですがメモだからもう~飛び立つ~こころの~ひとみで~
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