放置メモ消化週間
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「アマデウス」
ちょう面白かった。三時間が長く感じない…。
サリエリ視点というのがきっとミソなんだろう。
タイトルがアマデウスである。ので、重要なのはなんと言ってもアマデウスの登場シーン。モーツァルトがモーツァルトである、と(サリエリに初めて)わかるシーンはどういう風にするんだろう?とわくわくしていたら!「僕の曲だ!」だよ!!!!すごい!!もう絶対おもしろいこの映画!とおもったね!
モーツァルトは自分で名乗らない。もちろん誰かが代わりに名乗ったりなんかもしない。曲が彼を名乗らせる。不審な(疑念の)人物は、彼が作った音楽によって立ち現れてくる。という演出。すげー。
・モーツァルトの最期が、妻とサリエリのやり取りの横で気付かれずにひっそりと一人で息を引き取るという描写で為されたのは、とても象徴的。二人の愛(の)人に挟まれて、けれど本人はそこから少し離れたところでそっと消える。
サリエリに対してのモーツァルトの最期の言葉は「赦して」だったんだけど、それと対比して面白いことに、この映画は狂ったサリエリの絶叫で始まる。「モーツァルト!!赦してくれ!」
この二人はお互いに何を赦して欲しかったのか?
サリエリの「赦して」が、自分の受けた生そのものをそっくり乗せた重みのあるものであったのに対して、モーツァルトのそれはまるで子どものごめんねのようなものだった。モーツァルトが赦して欲しかったのは、サリエリについて自分がしていた小さな勘違い。
この意味の重さの違いが、もう既に、サリエリからのモーツァルトの遠さを現しているような気がする。決して届かない距離にいる二人の、皮肉な乞い合いに見える。
・「かれの音楽を理解できるのは、自分だけだ」「あれは神である」
そう、モーツァルトを語るサリエリが最もモーツァルトを愛し、そして憎んでいる。サリエリ役の男優の表情がほんとうに素晴らしかった。モーツァルトを憎しみの言葉で語りながら、その言葉によって引き起こされる自分でもどうしようもできない感情の充溢に、表情は至福を示している。
唯一理解し、理解できたと思えたことが、サリエリにとっては何よりの喜びであり愛であり、そして苦しみだった。最も昂ぶる感情を愛と呼ぶのなら、サリエリのモーツァルトへの感情は愛としか呼べなかった。片方だけからの、ずっと一方通行の。ちょう片思い。
・自分が望んでも与えられなかったものがそこにあるという苦しみは、徐々にサリエリを単純な人間性の比較から遠ざけていった。何に根ざすのか?という問いや、どうして自分ではなく彼に!という神への恨み言は、サリエリの中ではどんどんどうでもよくなっていく。サリエリにとってのモーツァルトは、既に、その与える側であった神と等しくなってしまっている。
その次にサリエリがどこへ行ったのか。次に来たのは、もはや(あからさまに)愛としか呼べない、支配への熱情だった。
かつてモーツァルトを唯一支配し(非難でき)たモーツァルトの父の姿に扮し、レクイエムを描かせようとするサリエリは、モーツァルトの「完成」にひたすら勤しんでいるようにしか思えない。(モーツァルトを支配する存在=父というイメージは、サリエリの幼少期の回想に既にモチーフが出てきていて、ここら辺もほんと演出に抜かりないなぁと思う)
モーツァルト自身にしかモーツァルトの葬送の曲は作れない、そして、彼はその曲の中埋葬されなければならない、という執拗な妄想。これは、モーツァルトという存在を永遠に保存することへの、執念。これが愛情じゃなくてなんだったんだろう。サリエリはモーツァルトを最高の形で埋葬したかった。きっと、サリエリのモーツァルトへの告白だった。
・モーツァルトに描かせたレクイエムについて、サリエリは、「最期の告悔を聞き届けられなかった死者のために」と言ってる。サリエリにはもう神はいらない。モーツァルトがいるから。
「最期の告悔を聞き届けられなかった死者」と言われた時、観ている側の多くがモーツァルトだけでなくサリエリのことも思い浮かべている。きっとサリエリも懺悔することなく死ぬ。するとサリエリは、モーツァルトのうたう旋律を描き取りながら、一緒に自らのレクイエムを作る手伝いもしていたことになる。(意味的にも視覚的にも!)もしかしなくても、サリエリの生にとって最大の幸福はあの時点だった。
・凡庸と天才。
サリエリは凡庸の神として結局、精神病院へ行く。気狂いと天才は紙一重とか言うけど、もしかしたらサリエリは、モーツァルトを完成させたことで一歩だけ近づけたのかもしれないなぁなんて思う。神父に向かって恍惚とモーツァルトを語り、車イスに乗って病院患者の間を指揮棒を振るようにしながら通り抜けていくその姿は、健在であった時よりも、よほど、「尋常でない」何かを持っているように見える。神からは与えられなかったけれど、みずから目を見開いて見てしまった光に眩まされて、掴んじゃった何か。
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