プラネテス11話まで観たよ!
感想、今後書ける自信ないから今軽い気持ちで書いとく…。
7話「地球外少女」…大号泣回。
宇宙に恋して憧れて憧れて憧れ続けてでも結局裏切られて、でもでもそこで死にたいと思って死んでいった男ローランドと、ルナリアンのノノちゃんの対比がいい。
ローランドの姿だけを見ていると、ハチマキも言っていたように、まるで「カミサマ」が天上へ上がった人間達を迷惑な訪問者扱いしているような捉え方になるんだけど、ノノちゃんがいることでその視点が変わる。
ルナリアンであるノノちゃんが、月で暮らし、静かの海を「私の海だよ」と言う時、まるで、彼女は月に愛されてそこにいるかのように思えてくる。宇宙に愛されて、だから、地球では耐えられない体を与えられたみたいに。
どんなに焦がれようと、人間のからだが宇宙の生活に耐えきれないことも、それと同じように、地球に愛されたからなんじゃないかという想像が開いていく。
ローランドの、「出かけた先」からの拒絶への慟哭は、故郷を愛する気持ちとは関係ないんだけど…。でも、人間が古代から、神がいる場所として、或いは大地の上に張られた幕として、或いは超越の存在として、考えてきた宇宙とは別の顔を見せてもらえるってこと、慰めにはならないだろうか。
地球を故郷とする人間がいるように、宇宙を故郷とする人間が出てきたということ。
いつかノノちゃんが地球に来て踏みだす一歩は、人間が月に初めて降り立った時と同じだけの喜びがきっとある。
ほんっっとーーーーーーーに素敵な回だった…!プラネテスは全部いいけど、これはもう!
あの扉が開くシーンは泣くなって方が無理。
プラネテスに限らないんだけど、宇宙を舞台にするアニメを観ていて思うのは、人間の宇宙への憧憬が果たされた時、次にやってくるのは、また外から見て懐かしく認識された惑星としての故郷の姿なんだよねということです…。地球を故郷として認識するために、外界レベルで必要になってくるのが宇宙という場所なんだ。
シータの言葉に反して、生まれた自分を優しく包んでくれる環境から出て行こうとする人間の姿は愛おしいし(だからローランドや先生の姿はどうしようもなく切ない)、反対に、国境に捕らわれない惑星として捉えられた故郷へのノスタルジーは、体験したこともないのになぜか共感ができる。宇宙が舞台の作品や、宇宙をモチーフにした作品が好きなのは、きっとその二つの感傷が気持ちいいからだなぁって思う。
10話は…びっくりした。冒頭はなんか繋がるんだろうなと思ってたけど、まさかここで来るとは…っていう…。ユーリの表情が本当によかった。作画GJすぎる。掌にデブリをつつんでそれを開く度、五年間ずっとずっとずっと期待と絶望を繰り返していたのかなと思うと、たまらない…。
コンパスを見つけた時のあの表情はーーーーーもおおおーーーーーーーーーーー
あと、声優の子安いいなぁぁぁぁぁぁぁぁって思ったのは、初めてだった。
ほんとうにいいなぁぁあって思ったのは初めて!きっと!凄い。
人間は小さくて、宇宙はちょうちょう広くって、でもその中で巡り会えるあの…!ううっ…!泣く!
プラネテスを観ていて一番好きになるのは、きっと宇宙でも地球でもなくて人間のことだよ。
あの広い藍色の中で浮かんでる人間だ!
11話でそしてまた泣くっていう。
課長の「ゆーちゃん」っての大好き…かちょーかわいいよかちょー
先生の回のあいちゃんの作画がやったらかわいかった。いちごましまろ出れそうだった…。
ハチマキと結婚すると、愛ちゃんの名前って、タナベアイからホシノアイになって、ホシノアイ→星の愛だよね…シャレか。シャレか!
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最近考えるの全くだめなんだ…頭ほんとやばくなってる…ぼやーっとしちゃってまず何考えようとしてたかもわからないていう…やばい…やばいよ…!
ガンダムが行き詰まるのって、政治扱うからかな。なんなのかな。限界はそこにあるような気がしてしょうがない…。
現実に戦争を止める術がないんだったら、それのシミュレートだってむつかしいに決まってる。
普通は弾劾がむつかしすぎるから、有効な手段の仮想定の他に、結果的に対峙する先まで仮想定し始める他ない。00に対する違和ってそこなのかな。一期が着実すぎた。アニメだったのに、アニメにし始めるのが遅すぎた。
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