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シンプリチオ-雑記

ラウの寝起きがmitaidesu!

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2025/11/29 (Sat) -

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会話

2007/07/19 (Thu) - ●●●

BANANA FISHのゴルツィネを嫌いになれない、と言ったら理解されなくて、わからない奴らだと憤慨した覚えがある。
ゴルツィネの愛っていうか執着の美しさがわからないのは何故なんだと。ゴルツィネをただのきもいハゲホモとしか形容出来ない人と漫画の話したくない。でも近くに2人も見つけてしまったのだな…ああ。
非道なことしてるのは確かなんだけど、自分で造り上げたものを自分で壊したいと思うことって自然な気持ちとは考えられないか。
しかもゴルツィネが美しいのは、その一貫した執着に従わないアッシュにすら時めいちゃっているところですよ。獣、と表現してるけど、これはもう褒め言葉だろう。獣であるアッシュを嫌いになりきれない、(アッシュから言わせれば妄想に過ぎないだろうけど)創造した自分を陵駕したところで遊ぼうとするアッシュを。むしろそれすら魅力に思えてしまう。この囚われちゃってる感じが愛おしくてたまらない。
のがわからないなんて!
ゴルツィネの愛には矛盾があって、アッシュが自分の手の内に入ることを望んでいながら、でもその手から逃れてくアッシュこそをも望んでるところです。これはもう精神的マゾです。

最近の作品だったら、竹本が自分で自分の作った塔をパイプ椅子でぶっ壊した気持ちです。
昔の作品だったら、オーギュが裸のジルの死体を静かに抱きしめた気持ちです。
そんなに難しい気持ちじゃない。けど深い。たぶん。
まちがってたらごめん(謝るのかよ


皆川さまの言葉はやっぱり個人的に神だとおもう

結局、自分の運命の作品には自分で出会うしかない。
人づての、紹介されたもの には限界がある。

あと、作品について本当に個人的な心情は不用意に漏らすな、と。
漏らしまくってるだろと言われるかもしれないですが。
でもね、絶望が待ってるだけなんだって。
結局理解はしてもらえないし、相手の言葉によって自分とその作品との関係が言葉が汚されるから。だから本当に愛おしいものについてはしゃべるなと。
世界を汚されたくなかったら。

私が誰かとの会話についてその是非、必要性を考えるとき、結局この皆川さまの言葉に行き着いてしまう。
もう答えとして示されてしまった。
あまり人に話さない。分析はいくらでもできる。
わりと自己完結型なのはそのせいだ。
でも発信してるから知ってもらいたいという気持ちもあるのかないのか。あるんだろうな。
会話って何のためにしてるのでしょう。人の話だったら時間があるならいくらでもきこうと思う。
でもたまに無性に虚しくなる。
結局自分は何も話した気にならないから。
相対論で終わるならなぜ会話をしなくてはならないのか。
傷をつけられるくらいなら最初から仕舞っておいた綺麗な石を見せたりしません。
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